内閣府のホームページで地域再生事業を読み、これは元大分県知事平松守彦さんがやった一品一村運動の21世紀版だと思いましたが、そう考えてるとき毎日新聞一面に平松さんが登場しこれを語ってましので注意深く読んでみました。


平松さんはもう80歳代と高齢になっているのに現在でもNPO大分一村一品国際交流推進協議会を03年につくって、一村一品運動の精神を日本の各地に伝えたり、アジアの国へ伝えてる事業をやっている話をしてました。


一村一品運動の精神に学びたいという来客は今多いらしい。地域再生、自立の元祖なのです。


ここで平松さんはこの運動から湯布院、関サバ、臼杵と武田のカボスブランドを生まれたと自慢してました。


一村一品運動は79年に平松さんが提唱して80年から始まり27年目になりますが、指定特産品は336、前記の産物のほかシイタケ、大分焼酎、ハウスミカン、関アジなどが有名です。


生産額の総額は1400億円、うち売上高1億円以上の産品が131もあるらしい。大分の経済界が共同で出資してつくった大分一村一品㈱が1988年に設立されて現在ではここがネット販売を担当してます。


平松さんは03年に知事を辞めたとき県庁から一村一品事業を推進する部門をなくして前記のNPOをつくって引き継ぎましたが、県の事業から離れ自由度がました分かえっていい結果をもたらすでしょう。


内閣府もいつまでも抱えるのでなく、めどが出てきた時点で切り離したらいいのにと思います。


平松さんぐらい一人の人がしっこくやらないと地域再生事業なんて息の長い事業なので成功しない、80歳をこしてもまだやっている執念はすごいもので、本人は自覚してないでしょうが平松さんには社会起業家精神がふんだんにあったのです。


平松さんが成功したのはこの執念ですが、さらに一村と狭い地域に限定し一品に絞ってやったのが成功した理由でしょう。執念深く一品に絞り成功した先進事例が大分の村にあり、平松さんはこれを眼力鋭く観察して一品一村運動のデザインをやったのですが、成功体験のエッセンスを抜き出したので成功しやすいデザインになっていたのです。


首長自ら行政に頼よってはいけない、住民の自主性によって事業を展開せよと迫ったのもよかった。


世界の社会起業家を研究していて痛感することは、たった一人のカリスマ的な起業家がいるところがいい仕事をしていることです。並みでないエネルギーを持ち、306度方向から来る反対を気にせずに、変人と言われながら進めると支援者が自然に湧いてくる、こうして事業が自然回転するというプロセスがあります。


内閣府の地域再生事業にこうした一人の人物、社会起業家ですが、いるのかどうかが成否を分けます。いれば内閣府はその人に任せて支援する、いなければ探せばいい、これが内閣府のこれからの仕事です。


大分県の一人当たり所得は九州で一番です。新日鉄、住化、昭和電工、TOTO、キャノン、東芝、NECなどの工業があり、有名な温泉地もあって観光産業が栄え、くわえて一村一品運動により地元産物の成長もありました。


大分県の総生産額は4兆5000億円ぐらいですが、一村一品運動の生産額が1400億円なので地域再生事業に成功したといっても県の総生産額からみればわずです。


現在地域格差問題がありこれを解消することが話題になってますが、解消の到達点を東京などの高い所得へキャッチアップすることなら、地域再生事業ぐらいでその格差がなくなることは絶対にない。


こういうのは論の立て方が間違っており、地域再生の狙いは所得を大都市なみに近づけるのでなく、別の狙い、それは例えば生活の幸せの増大、生きてる実感を感じる、ゆったりと豊かな時間をすごす、住んでいる所に誇りを持つたぐいの幸せの追求と実現です。


金銭的な欠乏感からあれも欲しい、これも欲しいではない。欲しいものをウィシュリストでのせて政治家に頼んだ時代が長く続きましたのでまだその延長にいますが、それでは果てしない不満だけが残ります。


地域再生事業は生活の平穏、満足感といったものをつくるのではないか、そうしたした性質の事業だと悟ったのは、この間NHKハイビジョン放送であった「フランスの美しい村プロジェクト」でしたので、次回はそれを話題にします