日米の社会起業で一番違うのが「大きく考えること」である。アメリカでは社会起業家は自分の事業のデザインすると、速やかに世界中にひろげてソーシャル・インパクトを極大にしようと考える。


これに比し、日本ではマイペースで進み地域に特化するのがよいという傾向がある。


この違いはかねてからの疑問であったが、ジョン・ウッド「マイクロソフトでは出会えなかった転職 - ボクはこうして社会起業家になった(原題は世界を変えるためにマイクロソフトを去ろう)」(ランダムハウス講談社、9月刊)を読み、その理由がわかった。


ウッドはアジアの途上国で小学校、中学校、図書館、本の寄贈をやるRoom to Readを創業したアメリカでは有名な社会起業家である。


彼はケロッグ経営大学院でMBAをとったあとコンチネンタル銀行へ入り、91年にマイクロソフトへ転職したが、このときの試験官がゲイツの恋人だったメリンダ・ゲイツで厳しい面接を受けた。


その後、30才代前半にオーストラリア、中国などでマーケット・ディレクターとなり、ワードやエクセルのビジネスツールを売りアジアでのシェアを上げるのに貢献した。このとき営業担当役員だったスティーブ・バルマーに徹底的に鍛えられマイクロソフト流の働き方を身につけた。


この経験で「NPOのマイクソフトをめざす」と退職して99年にRoom to Readをサンフランシスコに設立し、7年間でアジアの国々に200校の小・中学校を建設し(1校をつくるのに8000ドルから1万ドルかかる)、2500ヶ所以上の図書館、本の寄贈が120万冊の実績を上げた。


ウッドはまだ事業を始めたばかりのときに、サンフランシスコにあるアメリカ・ヒマラヤ財団を訪ね支援を要請した。出てきた女性の専務理事は「ネパールで学校を建てたり本を配るグループは何百もありますね、あなたの違いは」と問うた。


ウッドは「私がマイクロソフトで学んだことは”大きく考えること”です。大半の慈善活動は一つか二つ学校を建てえるだけですが私は数百建てたいと思ってます、図書館はアンドリュー・カーネギーをまねて途上国に数千の図書館を建てた人はまだいません(カーネギーは1920年代に鉄鋼業で成功してアメリカに2000の図書館をつくった)」と返答した。彼女はこの壮大な事業プランを理解できずに慈善団体貴族から失礼なあしらわれ方をされた。


非営利事業で大きく考えるのは、ネット事業でやっていることと同じようにやるからなんだと納得した。マイクロソフトを辞めた後非営利事業をやっても脳は同じことを考えるんだと思ったのである。


アメリカでも古い慈善団体の理事は、なぜそんなに急ぐんですかと怪訝に思うようである。そのために大きく考えたことを実行するのはまだ大変である。この流儀が非営利法人革命を起こすが、それをやるだけの精神があるから世間はあっと驚く。


ウッドはアメリカ中をかけまわり資金集めをやるが、古い慈善財団の保守的な壁に阻まれ断られるが、アジアの国を回りマイクロソフト・オフィスの海賊版が普及している国では売れない、それにもめげずに国営企業やアメリカの進出企業にマイクロソフトオフィスを売ってシェアを広げたが、断られるのは話し合いの始まりと考えるDNAが体の中にあると自認している。


しかし保守的な壁だけでなく、成功した起業家はウッドを理解し勇気づけてくれた。


ウッドがシカゴの成功した起業家に会い支援をお願いしたとき、この人はグラミン銀行のユヌスの初期の支援者だったが、91年ごろのグラミン銀行と01年のルーム・ツゥー・リードは似ている、両者の事業は革新的で、説得力のある言葉で大義を語れる力強いリーダーがいる、施しを受ける人は自分たちで自分を助けたいと思っているという人間の本性を最大限に活かそうとしている、「施しを与える」のでなく「人に投資する」点に共通点があり支援しようと言われた。


ウッドは尊敬していたムハメド・ユヌスに似ているといわれ喜んだが、こういう支援者がいるのもアメリカの社会起業で「大きく考える」ことの理由になっているのだと思う。


日本で「大きく考える」とことがないのは、ビジネスで大きく考えることがないからである。まずはビジネスで大きく考えることから始めなくては世界は変えられないと思ったのである