ロバート・パットナムハーバード大学政治学教授が、「ボーリング・アローン-アメリカの社会資本が衰退している」(2000年、昔はボーリングクラブでやっていたが、今は一人で孤独にボーリングをする、こんなぐあいにアメリカ社会で市民団体・市民共同体が停滞している、テレビの影響のせいだ)で提唱している類型で、ボンディング型(同質グループ内での結束)とブリッジング型(異質なグループ間のネットワークで創発)の2種の市民団体がある。この分類は、市民社会を考えるのに重宝するので覚えておくとよい。


前者は、町内会、自治会、経済団体(商工会、商店街組合)、垂直的な人間関係があり、政治や行政の上位下達機関だった。ここは強い絆で結ばれており、排他性が強く、政治や行政との癒着問題もときどき起こる。入っていると安心だが、壊れはじめており、ここでもう安心はえられない。後者は、NPOのような市民団体で、弱いきずなだが、新しい市民団体で、ネットワークで威力を発揮する。


パットナムは、70年代からイタリアの市民社会を20年間研究した。イタリアは100年の中央集権が終わり、70年に20の州に分権したが、その結果、民主政治はどうなったのかが彼のテーマだった。結論は、北部州では民主政治が広がり、経済も社会も中央集権のとき以上に発展したが、南部の州では逆に衰退した。その理由は、北部にはブリッジ型の市民社会があり、南部はボンディング型の市民社会だったからである。経済が発展して所得が上がり市民社会ができて相互扶助社会が生まれるのでなく、因果関係は逆で、まずブリッジ型の市民社会があり、その土壌の上に経済発展が起こることを発見したのが彼の功績である。北部イタリアは、EUの中でも経済発展の最先進地域であるが、それは1000年も続いていた市民社会があったからなのだ。


資本というと、土地、建物、人、カネなどのことをいうが、パットナムは、上記のような市民社会の存在を「ソーシャル・キャピタル」と名づけた。パットナムは、イタリアの研究で、北イタリアには工業の集積があったので、それを土台にしてソフト産業とかファッション産業に行けたといっているが、工業の場合、生産性の高い工場と賃金の安い労働者がいればよく、実は社会資本はそんなに影響するわけでない。それに比し、頭脳を使うソフト産業やクリエイティブ産業では、異質な人材がお互いに創発しあって開発するので、社会資本の存在は、工業以上に重要である。この辺のめりはりはパットナムには欠けているが、市民社会とこれから主力産業になるクリエイティブ産業の相関関係は一層高まるのだという視点をもって欲しい。


パットナムは、アメリカで戦後この社会資本が減少してきていると嘆いているが、日本でも、都会では減少、田舎に残っているだけとか、西高東低の傾向があるという。2003年に出した内閣府国民生活局委託研究 (日本総合研究所)には、社会資本の県別試算というのがある。東京、大阪など大都市で低く総合指数値は-1、鳥取は2近く、宮崎は1を越え、宮城、秋田、山梨、長野、岐阜は1弱になっている。

さて、以上の話しの論点は何か。
その1は、都会で減少してるのは、古いボンディング型で新しいブリッジ型が増えている。この傾向は健全なものである。内閣府の測定は、ボンディグ型を測定したのでないか。総合指数が高い地域で経済が発展したかというと、そんなことはなく90年代に公共投資をやたらにやった所で、それでも経済はよくならなかったことをみても、古いものを測定したのだと思う。


論点2は、パットナムは、テレビ、個人娯楽、オタク文化が社会資本を減らしたという。そういう面はあるが、それではインターネットはどうか。これもオタク文化を助長するが、一方、見知らない人のネットワークをもつくる。IBM、マッキンゼー、マイクロソフトなどのOBは、OBネットをつくり、参加者は数千人、ここで仕事を探したり、ぶつかった壁の解決策を相互に相談して重宝している。こういうネットがあれば、転職しても安心である。


現在は、ボンディング型が減少、ブリッジ型が増加しているが、マイナスの方が大きいので合計するとマイナスになるのは仕方ない。社会資本は、全国に平均して分布するのでなく、地域に偏在する性質があるので、平均などで考えても何も生まれない。県全体で考えるのも大きすぎるのではないか。